概要
運勢には「運勢が良かった」などと過去の状況説明として用いられる場合と、「運勢の強い男」など個人の特性を説明するために用いる場合がある。「運勢」を用いた説明は好ましくない(妥当でない)と考える者もおり、「運勢」に関する信念の違いがおのおのの表現には反映されている。「運勢」を統制することができるかについての主観的な感覚にも個人差があり、合理的な努力の成果やポジティブシンキングの結果として運勢を掴まえる者もいる。一方でギャンブルのような統制可能性が低いものでさえ、何らかの努力で成功を得られると考える者がおり、因果関係ぬきで結果に対して満足感を得るために自分の行動に張るラベリングとして「努力」概念を導入し、不確実な事象の結果として満足が得られない者が「運勢が弱い」などと呼称することがある
[「「運勢の強さ」とその認知的背景」村上幸史(Research in social psychology 18(1), 11-24, 20020819)http://ci.nii.ac.jp/naid/110002785193]。
決定論の一つである因果的決定論に立てば、実は幸運勢や不運勢の意味はなく、過去や未来はすべて決定されているという考え方になる。ラプラスの悪魔に代表されるような存在によって結果はすべて見通されているということになる。
現在、物性上の純粋な確率論の立場における決定論はハイゼンベルクの不確定性原理によってその存在の不可能性が証明されており、「運勢」は確率論が扱う事柄になっている。
世俗的なものの考えでは物の道理をよくわきまえ人情に通じ、確率的な危険性を適切に回避するなり他者の妨害を回避しながら、あるものごとを上手く成就させる才能と考えることもできる。但しこの視点はあくまで結果論による定義であり、運勢のよい人物が先験的に判別しうるかどうかはわからない。何事かをなす場合、うまくやる人とうまく出来ない人がおり、その理由がよく説明できないさいに「運勢が良い」「運勢が悪い」などと評論することがある。客観的に見て明らかに「運勢が良い」手法・手段
[たとえば億万長者になるために、広く人脈を築き信頼関係を持ち信頼できない人物を遠ざけ、公衆が求めていると考える事業・サービスを展開することなど]、「運勢が悪い」手法・手段
[たとえば億万長者になるために、毎月の所得の全額を宝くじに投資する手法など]は存在するが、話者にとって判然としないもの
[戦争や天災などで、かろうじて生き残ることなど]は「運勢」で語られることが多い。